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――カタンコトン、カタンコトン
 列車が奏でる独創的なリズム。それに耳を傾け流れ行く景色に目を移す。流れ行く緑、流れ行く雲達。隣に座っている彼女はずっと外の景色に見入っている。

――カタンコトン、カタン、コトン
 都に向かうのは約一年ぶりか。僕は何か変われたであろうか。
 時は流れゆく。全てに平等とはいかないが。だけど、何かしら変わっていくもの。しかし、僕は変われた気がしない。

――カタン、コトン……カタ、ン…………
 列車は止まった。駅に着いたのだ。しかし、この駅は降りるべきではない。小さな駅、多少の出入りがおこなわれるだけ。
 いっそのことここで降りてしまおうか……。
 そんな考えが頭をよぎる。しかし、無垢な声で打ち消される。
「九夜さんいつになったら着くのですか?」
「それは乗るときに言った。順調に行けば昼ぐらいには着くだろう」
 隣の彼女は照れ笑いをしながらまた外の景色を見る。無垢なる声の持ち主――彼女の目には何が映っているだろうか。それを想像しながら瞼を閉じる。

――……コ、トン……カタン、コトン
 再び動き出す列車。劣悪な振動を感じる。またも繰り返されるリズム。
 「乗車券を――」
 車掌の声が聞こえた。懐から乗車券を出しておく。


――ガタン
 その音を聞き取ったのは一人だけ、僕だけだった。汽車とレールの合間からかすかに聞き取れたのだ。
「……気のせいか」
 小声で自問自答をする。
「どうかしましたか?」
「気のせいだ。気にしないでくれ」
 そういって僕は瞼を閉じる。
――ぁぁ……!
 これは完全に聞き取れた。おかしい、後ろの貨物室の方からだ。警備についている軍人(今回はやけに多いのだが)しかいない。人が倒れる音、叫ぶ声は聞こえないはず。何かあったのか……。
 見渡せば気づいたものは自分ひとりしかいない。否、もう一人居た。同じ魔術の才を持つもの、春がいた。彼女も確実に聞き取れているみたいだ。
「九夜さん?」
「このご時勢だ、警戒をしておけ」
「はい……」
 不安そうな春を苦手とする笑顔で励ましておく。しかし、彼女の死角に入れば陰湿な顔へと戻る。
 何も起こらない事を神に祈るだけか……。神よ、八百万の神たちよ……!
 だがしかし、祈りは届かない。連絡路の扉が乱暴に開かれ、続いて悲鳴が上がった。振り返れば覆面を着けた者達がぞろぞろ出てくるところだ。
「叫ぶな、動くな、抵抗した者はこうなる」
 先鋒か指導者か一人の覆面から放たれた言霊。それは僕達を人質か何かにするということ。
 彼の足元には赤い池が広がっている。先ほどの者のものであろう。
 幸い今のところ誰も抵抗はしていない。彼らの手際の良さと威圧の強さのおかげだろう。
「我等の目的は貴様らを人質にすること」
「次期皇帝華彩の継承権の剥奪、若しくは殺害だ」
「それまで大人しくしていてもらおうか?」
 僕は頭を横に振る。だから軍人が多いわけだ。
 隣を盗み見る。春は振るえていた。彼女達の初乗車はこんな輩に潰されたか。
 数名が僕らのほうに歩いてくる音がする。
 静寂の中、抵抗しなければ殺さないという言葉を無視した者がいた。
「お、お前達が何しようと華彩様は皇帝になられるお方だ!」
 一人が覆面の下からでも解る笑みを溢した。
「貴様らの死で継承する皇帝、血塗られた皇帝……。いいねぇそれは」
 二人目が刀を振りかぶる。悟ったものは最期に叫ぶ。
「か、華彩様万歳!」
 とっさに若い衆に見るなと言えたのが幸運だった。各々固く目を瞑ったり、両手で顔を覆ってたりしていた。
 シューっと気が抜ける音と、物が軟らかい物が倒れる音がした。あぁ、昔のあの光景を思い出す自分がいる。
「さぁて、お次は誰かな?」
 再開される足音。誰もが頭を顔を伏せる。自分の番にならない様に、さながら難しい問いに対する生徒だ。
 僕も顔を伏せる。世に未練は無いが、こんな輩に殺されたら未練が残る。ちらりと隣を盗み見る。隣は手で顔を覆い震えている。
 僕の横をゆっくりと威圧するように足音が過ぎていく。これでひとまずは安心だろう。
 彼らの話し声が聞こえた、その声は酷く小さく、また顔を伏せている僕らには聞こえない。そしてこれが皆に恐怖を与えるのだろう。次はあいつにしようかと……。
 戻ってくる足音、止まる足音。それは僕の横。何が起こる?
「女、立て。こちらに来い」
 ハッとなって顔をあげた。しかし、お前ではないとこめかみに銃を押し付けられる。
 春の顔は青。さらに、僕の有様を見て焦点が合わない。ふらつく足元、揺れる瞳。
 銃を突きつけられ溶け出した氷河。しかし、春が立つと同時に再び訪れる氷河期。
 目を瞑り、思考する。三等車両に行けば抵抗は激しくなる。故に、人質若しくは盾が必要。……春の服装はニ、三等といえなくもない。さらに軍人は次期皇帝を護る軍人は人質の命は見ないだろう。覆面たちも使い捨てるだろう。結果は死……。これでは僕の義が、神主様との約束がッ!
 奥に座っていた春は僕の前を過ぎた。離れる銃口、束縛から解放されるわが身。彼女が通路に出た時には既に式が出来上がっていた。
 その音の始まりは本当に小さな”音”であった。
『雷神ノ叫ビヨ 我ガ眼前ニ轟ケ』
 本当に一人にしか聞こえない祝詞。それは引鉄。
 雷が落ちた。この狭い車両に。圧倒的轟音。耳鳴りがするほどの轟音。世が白くなるほどの光量。これに堪えられるものは……ほぼ皆無。
 倒れる横の春と覆面たち。当たれば感電し死んでしまうであろうから。それに、殺しは僕の義に反する。ただ、念のために電流を無害なまでに落としたが。だから、彼女達は光と音で気絶しただけ。
 効果範囲を無理やり設定しておいたので他の者は無事だ。それでも一斉に皆、こちらを向いた。一般人としてのオブラートの鎧は剥がれ落ちた。
 息を合わせたかのように銃口がこちらを向く。火を吹く前に先ほどと同じ術式を連続で使う。光、音で車両内を支配し黙らせる。当然民間人も巻き込まれたが。それでも構わずに使い続ける。
 だが、貨物室からの増援。多勢に無勢とはこういうことか。
 向こうはこちらが魔術師と知って無様な突撃はしない。こちらも攻撃の手が無い。車内の自然中の魔力が足らない。己の体内から搾り出してもいいが、自然魔力が回復し魔具を使われると厄介だ。よって術式を換える。
『風神ノ愛ヨ 我ガ身ヲ護レ』
 しかし、彼らは打って出た。鉄の雨が僕に降り注ぐ。だが、それらは僕に当たらない。見えない障壁により燃え尽きるか、押しとめられ床にことごとく落ちる。
 僕の周りで風が渦巻く。髪が乱れ、服が暴れる。しかし、気にはしない。この風は僕にとって心地よいものだから。
 一人が動かないのを見計らって突撃してきた。ご名答。魔術障壁は大抵魔術にしか効果を発揮しないものが多い。物理にはとても弱いのだ。しかし、僕の使った障壁は魔術物理共々防ぐ事が出来る最上級といえるものである。さらに―――
 突撃してきた者は吹き飛ばされた。文字通り風神の息吹によって。
 さらに、僕の意思で力の調節と指向性を持たせることが出来る。
 しかし、一発の弾丸が頬を浅く切り裂いた。流石は魔術付加型。障壁の効果時間切れが迫る。
 足元で寝ている春を抱え元の席に戻ると同時に風がなくなる。最上級ものは連続で紡げない。よって、中位級の障壁で身を護る。出来るだけ多くの人を護るために広く強い障壁を紡いだ。
 だが、身体が震える。限界への警告。喉の奥から迫上がる血液(ちえき)、涙の代わりに流れる血涙。
 僕もこういう終わり方をするのかと口の端を吊り上げた。自嘲。
 誰かが引き際が肝心だと言っていたが、僕は既にあきらめていた。急速に暗くなる世界、浅くなり遅い呼吸、激しさを極める震え、暴れる心臓。それでもなお発動する魔術。聞こえる銃撃音。
 天の救いか、それとも死神の囁きか、三等車両側からの銃撃音。椅子と椅子の渓谷から見えた青い軍服の走り去る影。助かるとは端から思ってはいない。
 意識がまどろむ。多重演奏と無理な継続発動、さらに力の調整でついに限界が迫る。並みの魔術師ではここまで連続して出来なかっただろう。
 最後に魔力石を造った。ほんの小さな水晶ができた。苦手な錬金術でさらに負担がかかる。どうにか持ってくれ。
 この魔力石というものはいわゆる電池みたいなもの。術者という発電機が無くてもしばらくの間魔術が使用できる。しかし、これだけでは術は発動しない。文字を刻み込まなければ式という部分が抜けているために発動しないのだ。
 まどろみに引きずり込まれる。怒声、悲鳴、銃声。意識の片隅に聞こえた。手元から落ちた魔力石が淡く光った。薄い光の障壁が展開されたのを感じ、僕はまどろみに引きずり込まれた。

 強すぎる魔力にあてられてまどろみから僕は這い出した。油が切れて動かし辛い機械と同じように、悲鳴を上げる身体に鞭を打って身を起こす。起こした瞬間吐き気がした。こらえきれずに吐き出した。……吐血だ。
「貴様、大丈夫か?」
 声がしたので通路を見れば、青服の軍人二人が立っていた。声をかけたのは足に魔術具をつけた偉そうな軍人だ。この者からは特殊な魔力を感じる。片やそう偉くもなさそうな者は魔力の燐片すら感じないが、何故か胸の辺りから懐かしい魔術具の気配がする。
 彼の問いに返事に窮したが一応、「平気だ」と身振りで答える。
「出来ればこの結界障壁を解いてもらいたいのですが」
 偉くなさそうな方が言った。辺りを見れば戦闘は終了しているみたいだ。相手は戦闘の専門家、素直に結界を解く前に。
「約束して欲しい事がある」
「なんだ?」
 頭上に疑問符を浮かべていそうな顔で二人が同時に言った。
「あなた方はこの戦闘の序を知りたいのだろう?」
「そうだな」
「だったら僕だけ拘束すればいい。僕が雷撃を撃ったり、この結界を貼った。だから、僕だけだ。他の者はただの被害者だ。何も関係は無い。安全を確保してやってくれ」
 二人は何か話し合っていた。だが、決まりそうには無いため決定打を撃つ事にする。
「結界を解けるのは魔術師のみ、故に、僕が解いて見せよう」
 足元に転がっていた魔力石を拾い上げ握りつぶす。すると、結界障壁が解けもとの空間に戻る。さらに、僕の魔力の一部が戻ってくる。身が軽くなった気がする。
 二人は話し合いをやめ、頷き合うと言った。
「約束は守ろう」
「ですが、君の身柄は拘束させてもらうよ」
「ああ」
 これで良い。これで良いんだ。春は座席に沈んだまま小さな寝息を立てている。村の若い衆は話を聞いていたのか不安と恐怖を感じている顔をしている。
 背中を拳銃で押された。押された方向に逆らわずに歩く。ちらりと後ろを盗み見た。さっきの二人も付いてきている。魔術に対する知識と耐性を持つ者はこれくらいなものだろう。
 着いた先は貨物室。まだ、床の血が乾ききっていない。
 貨物室に近づくにつれて、起き上がったときから感じていた魔力は次第に強くなり、どうやらここが発生源らしい。魔力の強さは今までの中で最大級いや、最大もの、しかし魔術論などは僕のほうが勝っていると思われる。まだ本格的に魔術論を学んでいないようだ。取り巻く魔力が不安定かつ鈍い。しかし、その鈍さゆえに強力な力を出せるのだろう。
「……魔人か?」
 独りポツリと言葉が出た。魔人とは人を超えた存在である人の事だ。
 拘束具で身動き取れなくされ、床に座った。目の前の積み上げられた木箱の上に魔力の発生源――青い軍服の女性兵が隠れるように座って欠伸をかみ殺していた。
 僕の後ろにはまだあの二人が居座っている。
「ほほぅ、おぬしが暴れていたものかぇ?」
 ひそひそと話しかけてきたので、頷いて肯定してやった。丁度その時、光が射し、彼女の姿が見て取れた。紅い目、紅い髪の少女か……歳は春と同じくらいだろう。
 長い長い沈黙が続いた。この間ずっと彼ら軍人三人の観察をしていたが、魔人少女は全くと言っていいほど落ち着きが無い、それ故魔力の強い彼女だから一挙手一動に警戒させられる。さらに、この中で一番偉いと思われる者は常に何かを背負っているように思えた。しかし、それは軍人としての使命感ではなくもっと何か大事な物……そう感じる事が出来る。残りの一人は全く魔力が無い、しかし胸にかけている懐かしい護符のおかげで魔術から身を守っているようだ。だが、時間がたちこの護符の事を思い出した。これは僕が若い時に作った、一人にしか渡していないものだ。
「滝守特佐、月野特尉! 拘束結界の準備が終了いたしました! この場から退避して下さい!」
 彼らが出ていき扉の閉まる音と鍵のかかる音、拘束結界の嫌な空気がこの場を支配した。
 そして、いつの間にやら、紅い髪の女性兵はどこかへ行ってしまった。拘束されるのは誰だって嫌だから、知らせを聞いて去ったのだろう。
 暗い車両内、僕は木箱にもたれ掛かり列車が織り成す独特のリズムに耳を傾け、目を瞑る。


――カタンコトン、カタンコトン
 これが夢でない事は確か。

――カタンコトン、カタン、コトン
 君がここにいただなんて僕は思いもしなかった。
 それに、君も僕もだいぶ変わってしまった。それ故僕らは一目で分かり合えなかった。

――カタン、コトン……カタ、ン…………
 君が気づいたかどうかはわからないけど、僕は気づいたさ。君が今でもそれを身に着けていたおかげで。

――……コ、トン……カタン、コトン
 十矢、もう一度君に会えるであろうか。ただ唯一無二の親友よ……。


 風の歌声が列車が織り成す伴奏にのってそっと僕の耳に届いた。

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激しい暑さで眼を覚ました。何か夢を見ていたような気がする。
 「空、起きたのかい?」
 襖の向こう側から優しい声が聞こえる。 わっちは草薙空。とある理由で草雷寺と言うお寺にすんでおる。声の主はこのお寺の住職の偕玄法師。
「うむ、今起きたところでありんす。偕玄(かいげん)殿、わっちはまた夢を視たぞ」
「どのような夢でしたかな?」
 わっちは眼を閉じて夢を思い出そうとする。
「大きな爆発の中におって、わっちはどうやら戦いに出ていたような気がする。これはまた予知夢かの・・・?」 わっちは夢はあまり視ない。視るにしてもそれは、これから先に起こること、もしくはもう起こった出来事であることが多い。―しかし、今回はあまりにも生々しく、鮮烈な暗中の夢だった。
「はて、拙僧には解りかねることでございます。ですが、お気を付けください。どうやら戦乱が起こる気配が御座います」
この僧、普通ではないようだ。昔からすべてを知っているような話し方をする。――まぁ今は良い。
 「そうか。わっちに関係が無いとは言えんの・・・。そろそろ本家に呼ばれる気がする」
 本家から呼ばれるのはかなり癪だ。自分で追い出しておきながらどうせ、わっちの『力』が目当てなんじゃろう。 そのとき、外の方で人が叫んでいる声が聞こえた。なにやら、必死で。
 「ハァ、ハァ・・・。和尚さ~ん!帝国の偉い方がお見えになりにきますぜ!」
 その男はそれだけ言うと元来た道を走って下っていた。この寺、山の中腹に建っている。――大変だったろうになぁ。
 「空、着替えてきなさい。どうやら貴女への用のようです」
 「うむ、承知しておる」
 邪悪な笑みを浮かべてわっちはきっと言っておろう。

 「草薙空殿、貴公に日本帝国政府の特殊任務に付いて頂く」
「ほう、拒否したらどうなるんでありんす?」
 わっちは挑戦的に問う。
「拒否権はない。今から来てもらう」
 なかなか厳しいのぅ。
 「まぁ、そなた達のじゃれあいにわっちも参加してやろう」
 そういって前を進む男を見る。青い軍服に身を包んだ凛とした背中。
 「おぬし、名をなんと申すでありんす?」
わっちが問うと、振り返って男は微笑を浮かべながら、
「麻倉と、申します」
 「覚えておこう」
 日ノ本の運命はどうなるのか?わっちのようなものを表舞台にだして良いのか・・・。
 「さぁ、草薙中佐。いきますよ」
「わっちは最初から中佐かい?」
どうやら、本当に特務らしい。わっちの力がそれほどに必要なのだろうか? 付いていけばわかるであろう。
「・・・・おもしろいことになってきたでありんす」
わっちは、これから始まる哀しくはかない物語の幕開けとも知らずに。
―――そこには人間しかいないのに、この世の全ての化け物が勢ぞろいしているようだ。
 
戦争を体験したものが語る言葉だ。嘘偽りがあるわけでなく、決して比喩や揶揄でもないのだと思う。
そこには生きている者などおらず、死者と化け物が殺しあっていたのだ。本性と本能がぶつかり合い、血肉を喰らって臓物を引き出される醜い闘争。
正直、そんなところに救いなどはないのだろう。正義や悪なんてそんな下らない物もなし、それを夢見た子供達の命も朝露と共に消える。
そんな純粋な殺し合いの世界。
 
私に何の罪がなかったとしても、それはどうしようもなかった事なのだと思う。それこそ、そこから助けようとする救世主なんかが現われていたら、そのどてっ腹に鉛玉を撃ち込んでいたに違いない。
突然起こった戦争は、私から全てを奪っていった。全てといっても幼い少女だ。家と家族が全てといえた。それを失くした少女には何もなかったのだと思う。
いろいろと無意識のうちにしていて、歩き出していた。ここは夢なのだと、夢の出口を探すように。
だが、もちろん現実。痛みは酷く、町中はなにかの焼ける匂いで包まれていて、嫌に涙が出た。それでも、歩き続ける。それを信じてしまえば、自分が壊れてしまいそうで、必死になって歩き続けた。
 
……だけど、終わりは来る。
少女としての体力は限られていたし、そもそも目的がないのに歩き回る事自体が愚かだった。
どこへ行っても、悲鳴、傷、血、うめき声、助けを呼ぶ声、足、首、何かが潰れる音、腕、肉の焼ける匂い、眼球、よく分からないモノ。
体験するモノは惨劇で、記憶は血で染まっていった。
そして、倒れる。
精神的にも、体力的にも、限界だったのだ。
自分の命が終わりかけているのを感じて、少女(わたし)はほくそえんだ。
この世界に、自分の命に。
―――ああ、ようやく終わる。
出口は、すぐ目の前だった。
 
 
だが、神は少女を見捨てなかった。
 
 
一人の中年が少女を見つけた。
嫌らしい笑み、惨劇の中その中年は楽しそうな足取りで少女を助けた。傷を癒し、栄養を与え。自らの家に連れて帰った。
それから、私はそこで生活する事になった。中世的な建造物に広大な庭。外はあんなにも地獄なのに、まるで楽園のような場所。
だが、そこでは、ただ弄ばれるだけだった。
日々、重労働。よく失敗を見つけられては殴られた。日に日に痣は増えていき、骨が折れたときもあった。だが、悲鳴を上げることはできない。悲鳴を上げれば、さらに酷い仕打ちが来るのだから。
中年は、例え完璧に仕事をこなしたとしても私を殴った。その中年にとって、少女を殴ることが趣味だったようだ。
その苦痛を耐えるのは当たり前。そこの当主である狂った中年のご機嫌をとるしか、明日の朝日を臨むことさえ出来ないのだ。私は必死に耐えていたのだと思う。
 
別に、戦争が憎いわけでもない。私の境遇も生きているだけマシというものだろう。
だけど、涙は止まらなかった。なぜだろう、無性に死にたくなった時もあった。地下の部屋で汚れた自分の身体を見て、コレで生きているのか判らない時もあった。
 
――――だから、その事件もしょうがないのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
―――――― a zero day
 
目が覚める。
耳に聞こえるのは海の音。ここが船の中だと分かる。
「…………ん」
変な格好で寝ていたからか、身体が凝っていた。身体をほぐそうと腕を広げ――
「―――ん?」
広げられなかった。手足をぐるぐる巻きにされて、なんか船倉に転がされている。そういや、私は拉致されているんだっけか。
磯の匂いがする。ということは、そろそろ目的地に着くのか、それとも補給か。
まあ、どっちにしろ早くこの縄をほどいてほしい、というのが本音だ。
「くそ、縄目があればほどけるんだがな」
今、私を縛っているのはなんか得体の知れないもの。鎖より強靭だが、意外と弾力性があって縛り心地は悪くない。いや、変な意味でなく。
足と手。それに肩の関節。首、膝、胴体。一体幾つのコレで縛られているのか判らないが、他の人から見ればきっと私なんか見えなくて縄しか見えないのではないだろうか。
ゴソゴソと暴れてみるが、まったくもってほどける様子はない。そもそもコレ、縄目がないあたり絶対普通の縄じゃないし。魔術師かなんかの曰く品だろうか。
「……寝るか」
諦めは肝心だ。今の私にとって唯一の娯楽といえば寝る事だし、ほどけない物に何時間もかけるのは莫迦らしい。睡眠に専念するのが一番効率的だと思う。
「寝よ寝よ」
というワケで、目を瞑る。波の音を聞きながら、私は意識を保ちながら寝る。
……………。
 
 
 
数時間経った頃か、重い扉の音と共に眩い光が、
 
「……起きてくださいまし」
 
私に目を覚まさせた。
「……なんだ、用があるなら明日にしてくれ」
ボソボソ呟いた後、手を振って寝なおす。
船倉に人が来るのは珍しいが、今はそんなこと関係なく眠っていたかった。
「いえ、そういう訳にはいきません」
凛とした声。どこからどう聞いても裕福な家の育ち。ああ、そういうヤツとは気が合ったためしがないんだが。
その声に誘われて目を開ける。その目の前のヤツと会話する為に。
「目が覚めたでしょうか?」
「ああ、バッチリ。で、誰、アンタ」
……………。
目の前にはメイドっぽい……てかメイドの格好をした女の子がいた。私とは対照的で、なんか場に合わない雰囲気。
「私ですか? 私はムーと申します。これから貴方のお傍にお仕えする、……えーっと、あ、そう! お手伝いです!!」
やっぱり、気が合いそうにない。なんか、無駄にニコニコしているし、明るすぎる。それに、馬鹿っぽい。
「……………」
それにしてもお手伝いなんて、長の差し金かそれとも罠だろうか。戦場はおろかこの船にだって、違和感ありすぎだ。
「貴方のお名前は?」
そんな違和感関係無しに話を進めるムーという少女。メイド服を着ている辺り、どこか貴族の手伝いだったのだろうか。いろいろ思考を廻らすが、途中で面倒になった。
「ヨルク」
答えないのも何なので、ぶっきらぼうに答える。そもそも、初対面で名前を聞かれるのは幾分か久しぶりで、どのように答えていいのか分からなかった。
「……ぁ、いえ、フルネームでお願いします」
なるほど、フルネームで答えるべきだったのか。
「ヨルク・フォン・アーレンス」
「――はい、では次。年齢をお聞かせ下さい」
「十二」
「性別は?」
「見れば判るだろ」
「あ、そうですね……はい、完成しました。御協力感謝します」
ビシっと頭を下げるムー。その見事な挨拶に一瞬我を忘れたが、どうしても聞きたいことができてしまった。
「……いや、待て。お前一体何作ってんだ。今の名前と年齢、性別を聞いただけじゃないか」
そんな私の質問に、むう? なんて首をかしげるムー。ギャグか。
「何って、ハイ――コレです!」
そんなムーが目の前に広げて見せたのは、つたない字で「お友達ノート」と書かれたボロボロの紙束だった。
その紙は所々破けたりしていて、いかにも年代を感じる。
「いやぁ、私ってすぐ物事を忘れちゃうんで、いつもこうやってメモしているんです」
だから、使いこんであるのか。忘れるからメモする、非効率的だ。私なら忘れたままだろうに。
「えへん」
メモしている事を威張っているのだろうか、胸を張るムー。いや、威張れないぞ、そこは。
「………ん?」
その見せてくれた紙切れに、なんかミミズっぽい線の集まりがあるのだが、これは、
「もしかして、このへにゃらって描かれている数学的記号みたいのは私か?」
「あ、よく判りましたね。寝顔を参考にしていただきました」
えへへーなんて言いながら、絵の説明をしてくる。ああ、一つ解った。コイツ致命的に絵が下手くそだ。
「あれ、けど私の絵ってよく理解できないて言われます……もしかしてヨルクちゃんってエスパー?」
あははははー、なんてさらに屈託なく笑う。なんだ、自覚していたのか。
「うん、確かにヨルクちゃんってエスパーっぽい外見をしてますもんね」
それは、縄だらけのことを言っているのだろうか。言っておくが、縄抜けとかは手品師だぞ。
「ハーッ、ってやるんですか。ハーッって。もー答えてくださいよー、ヨルクちゃん」
いや、さっきから気にはなっていたのだが。
「おい」
「あ、はい。なんでしょうか」
「私の事を“ちゃん”付けで呼ぶな。それと、私はエスパーなどではないから、そこのスプーンは手に取らないように」
「……あはははは、嫌だなぁ。冗談ですよ、ヨルクちゃん。エスパーなんてそうはいませんって」
そう言いながらも、お前背中になんか隠したろ。それと、ちゃん付けたままだ。
 
 
 
 
なんて、小十分も話していると、コイツの性格も解かり始めた。
「とにかく笑う、挫けない、礼儀が無い」
特に最後、言葉は敬語なのに接し方は礼儀がないというのは一体どんな教育を受けていたんだコイツ。
見ればニコニコと笑っている。まったく、調子を狂わせる。
 
「さて、コレ。もういりませんね」
話が一段落した頃、唐突に縄を指差しながら呟くムー。なんだ、まるでコイツがこの縄で私を縛ったような物言い。もしかして、
「お前がこれを?」
怪しげに微笑む。
「ええ、けどこれって縛る事以外には使えないんです」
そんなことは聞いていない。つまり、お前は、
「魔術師か」
人間とは違うもの。いやな響きだ。
魔術師。神秘を操る者たちの総称。私の国では、等価交換を原則とし代償から代償を得る。そんな変哲な考え方をされているものだ。
社会からは恐れられており、それについて昔一騒動あったとかなんとか。それ以来、基本世間一般には姿を現さないものだ。
だが、一つ例外的な状況がある。
戦場だ。戦争時、社会は自らの為により大きな力を欲する。それが自ら恐れていたものだとしてもだ。
その時だけ、魔術師はその戦果に応じての報酬を得るために闇から出でてくる。まあ、出てくるのは割と新参者ばかりで、古株たちは閉じこもって己を鍛えているそうだが。
そして、今私が向かっているのもそんな場所だ。
「? どうしたんですか、そんな恐い顔をして。あの、確かに私は魔術師ですけど、その、あまり得意な方でなくて」
ポリポリと顔を掻きながら、ムーは助けを求めるように視線を泳がす。そんなに私は恐い顔をしていたのだろうか。
「ああ、解っているよ。お前から感じる魔力は微細なものだ。ただ、魔術師というのは少し嫌いでね」
正直に話す。そんな私の顔を覗いながらムーは縄を外してくれた。
「あ、あの、ごめんなさい。嫌いだって知らなくて、その、命令だとはいえ縛ってしまって」
オロオロ、忙しいヤツだ。コイツほど擬音語、擬態語が似合うヤツは他にいるまい。
「あ、そうだ! 私、もうこれから魔術は使いません。だ、だから、お友達にしてください!」
どこまでも気が会いそうにないが、解った事は多くある。コイツは生き方がまっすぐで好感が持てる。錆びれた私の心にもまだそのような感情が残っている事自体驚きだが、コイツは割りと好きな部類に入る……かもしれない。
「魔術はそうしてくれると助かるが、お友達はどうだかな」
ふと微笑がこぼれた。笑った瞬間に驚いた。こんなに純粋に笑ったのも、果たして何時方ぶりだろうか。
「えーー」
不満顔なムー。
だが、その顔は笑っている。こいつの笑顔はヤバイな、人まで幸せな気持ちにさせてしまう。
いや、退屈な仕事だと思っていたが、コイツと一緒なら楽しくいけそうだ。
 
 
 
 
海の香りがする。生まれて初めての海は、どうしようもなく幸福だ。
笑いと溜息と、また笑いが私の気持ちを和やかなものにする。
船の揺れすら不快なものでなく、まるでゆりかごのようで、
その日、私は久しぶりに、無防備にも睡眠をとった。
幸せ顔なアイツを見ながら。
 
 
 
 
―――そして、その三日後。
私たちは、戦争が起こっている悲しい日本に降り立った。
 
 

 半年前の祭りの日には林檎飴を買って食べていただろう子どもたちが、私の目の前で林檎飴のように赤い血を吐いて倒れている。
 わかってはいたけれど、私には何時まで経ってもこの現実を認められない。彼らは政治には、戦いには何の関係もなく生きていけたはずなのに。
 そんなくだらない戦い、私たち華族のように権力をもったものだけでやればいいのに。彼らに私たちがどれだけのものを与えてもらっているか、彼らがいたからこそ私たちに権力が生まれ、食事や住まう場所もできた。
 それで、私たちが彼らにしてあげられることがいくつあると言うのだ。せめて世の中を言いようにできるように皇帝陛下に下の人々の生活をお伝えして、いくらか改善をお願いすることぐらいだけだろう。他に何かあるか、仕事のないものを自分の家で何人雇ってやれる。高が知れている。自分ができることに限りがあることも知っているし、この考えが偽善と思われても仕方がない。
 それは野に咲く綺麗な花を見つけて眺め、たまに水を与えるような必要のない行為でかもしれない。寧ろ、光合成の邪魔してしまう存在かもしれない。見きれる数もたかが知れている。
 ただ、権力を、持ったものがそれに伴う仕事をしないのは可笑しな話しだろう。私はノブレス・オブリージュをできるようになりたい。
 それが現在の日本はどうだろうか。戦いよりも治安へ意識を注いでいらした皇帝陛下はお亡くなりになられてしまった。遠征などよりも治安をと国民のための考え方を持ったあの御方を心より尊敬し、命をささげる覚悟で御方の意向を遂行する所存でしたのに。それが御方が亡くなられた現在、皇帝陛下という称号を争い、政界が揺れ、内紛が起こっているではないか。関係のない人々を殺して、何がノブレス・オブリージュだ。
 私は御方の薨去を知らされた時に殉死するつもりだった。
 しかし、死ぬことはならんと近衛兵兵長殿に止めらた。御方はそれは望まないと。御方は私を最も信頼し寵愛なさっていたと。寵愛を受けていた私こそが御方の最後の遺言を実行に移さねばならないとも、いい終わると兵長殿は腹を切って死んでしまった。
 私はその死を羨ましく思った。又、卑怯なようにも思えた。
 だから、私は今を生きている。
 自分が卑怯だと思う振る舞いは絶対にするものか。逃げることなく、曲げることなく、ただ一つの道を進んでやる。
「そうだな、次の皇帝は華彩にやらせてやってくれ。あの子は優しい子だよ。幼いながら芯がしっかりしている。華栄には悪いがね。あの子は少し血を見すぎたかもしれない。戦ばかりが全てではない。あの子も根はいい子なのだろうがね。
 今の時代を見てごらん。こんなにも発展している。発展させるにも方法があるだろう? 戦わなくても、話し合いで解決できるほどの技術も思想も整っているではないか。それで過去の繰り返しで無駄をするなんて、悲しすぎるだろう」
 私は御方の言う通りだと思います。だから私は御方の意向を遂行するために戦ってみせる。残った近衛兵を率いて華彩様を守り、戦い、死ぬ。それが国のためになるのだから。
 そう心に誓い、私は今を生きている。
 だが、この現実を前に躊躇してしまう私はなんなのだ。死になれなくてはいけないのに、国の安定のためにと戦った戦争に巻き込まれていった人々に同情しても、迷惑なのかもしれないのに。
 花を踏みにじってしまったのは、私かもしれないのに。
 割り切れないこの心を私はどうしたらいいのだろう。


 煙が晴れぬ私の心のように立ち込めるていた。
 敵軍の残りがいないだろうかと辺りを見回すと、崩れた民家の前に煙を通し、大小二つほど影が揺られながら写っている。
 敵軍の奴らではないだろうかと初めは疑ったが、どうにもその影は軍人にしては小さかった。警戒しながら近づいていくと、それが子どもであることがわかった。
「お前ら、この町の者か?」
 二人は姉妹であろうか、姉と見える方は十五くらいには見えるが、弟の方はまだ五つにもなってないように見える。二人は手を繋いで半壊し煙を上げた家を亡霊でもいるかのように眺めていた。実際に亡霊がいて、二人には見えているのかもしれない。そんな気を起こさせる二人の目は、鈍く輝いていた。
「両親はどうした?」
 そういうと二人は、自分たちが眺めている半壊した家を指差した。これはもう助からないだろう。寧ろ、もう死んでいるととったほうが正しいのだろう。こうした争いが、知らず知らずのうちに花を踏みにじってしまうのだ。いや、私は踏みにじってしまうことを知っている。その分、性質が悪いのだろう。
「あなた、私たちのお父さんとお母さんを知ってる?」
 姉の方が私をぼうっと眺めながら私に訊ねた。
「恐らく、戦争に巻き込まれてしまったのだろう。お前たちは見ていなかったのか?」
「違う、どういう人だったかってこと」
「……すまない」
 それはわからない。恐らく、精一杯働いて子どもたちを幸せにしようとしていた夫婦だったのだろう。ここはそんなに貧しい家のものが住む町ではないはず、上流と中流階級の間、どちらかといえば中流階級よりではあるが。
「優しい、お父さんとお母さん」
 その言葉は私の存在の結晶に傷をつける何よりも鋭い武器だった。言葉は魔力を含んでいるかのような、不思議なリズムを持っていた。
「表向きにはね」
 その子どもの声は子どもらしからぬ疲れた声が、存在の結晶を削り、抉った。
 歪んでいく思考。罪悪感。自分の理想がどれだけ滑稽なものだと、思えてきた。それは理解しての理想だったはずなのに、どんどんと否定されていく。
「ありがとう、軍人さん」
 私を我に帰らせた礼の言葉。何が、うれしいのかわからなかった。悲しいと責められはしても、礼をいわれるようなことなど何もしていないのに。
「お父さんもお母さんも表向きにはいい人を演じていたけどね、見栄ばかりの人だったの。昔は本当にお金もあったらしいけど、没落しちゃったみたいなの。働き方を知らないの。それで自分たちは何にもやらないで私たちには辛いことばかりさせてたの。いよいよ、お金にそこが見えたとき、あの人たち私たちを殺そうとしたの。最初はどこかに売ろうとしてたらしいんだけれど、売ったら売ったで自分たちの立場がないからって、大したお金にならないからって。だから嬉しいのよ、軍人さん。あの人たちを殺してくれたことが!」
 それはあまりに陰惨で私がこの国から無くしたい現実。こんな子どもに辛い思いをさせて掲げるノブレス・オブリージュってないだろう。私は何も責任を果たせていない。
「でもね、お金なくなるのが早まったの戦争のせいなんだから。もう少しで私たち殺されちゃうところだったのよ?」
 的外れに思えるその文句は、彼女たちの感性の歪みを象徴していた。
「私は、お前たちにどうしてやればいい?」
 その鈍く輝く目は何時までも上がりつづける煙に奪われていた。
 月夜に蕾んだ花が、朝日を待っているかのように。
「ほっといてくれればいいのよ」
 その言葉は、ついには私の存在の結晶の一部を、砕いた。
 そう、野に咲く花には水など与えなくても、天から降り注ぐ雨がある。
「すまない」
 光合成の邪魔をしてしまっているのかもしれない。
「気にしないで、軍人さん。あなたたちはそんなに強くない、きっと守れるものなんてそんなにないわ。だから、私はあなたなんかに期待してないもの。せいぜい、プライドでも守ってなさいよ」
 それを言い終わると、二人は歩き出しだ。
 旱魃が続いたようなこの国には、少しでも水が必要なのかもしれない。
「それでも、それでも何か守りたいといったら?!」
 それが野に咲く綺麗な花を見つけて眺め、たまに水を与えるような行為でも、必要のない行為でも、自分の影がその花の光合成を邪魔してしまうかもしれなくとも、黙って通り過ぎるようなことや、窓を通して見るようなことはしたくない。ましてや、踏みにじるような行為はしたくない。
 砕けた結晶をかき集め、二人に向かって叫ぶ。すると二人は振り返り、急にしゃくりあげ、終には泣き出した。私はその場にしゃがみ込んでしまった二人を立ち上がらせると、弟のほうが小さく「ありがと」と呟いた。
 その言葉で、私はそれでも守らねばならぬくてはならない事があるということを改めて確認させられた。
「……それでも、守りたいっていうのなら、私たちを助けてください」
 それが、あってはならないがあるべき現在なんだ。


「お前たち、名前は何と言う?」


「こら、夏樹! 千秋さんに怒られるから廊下を走り回るんじゃありません」
 私に怒られなければ廊下を走っていいと言うものではないのだが、この素っ裸のやんちゃ坊主は転んで頭を打った前科があるからあるからな。
「冬香も走ってるぞ」
 一応、夏樹だけが悪いと言うわけではないので注意をしておく。
「私は頭を打つような転び方はしませんから」
 そう、頭の打つような転び方はしていないけれど、前のめりに倒れて指を骨折したことはある冬香も前科ものだ。たんこぶ程度ですんだ夏樹のほうが、まだいい。
「身体を拭かないと風邪を引きます」
 まだ四つの夏樹はどうも、やんちゃだ。きっと、少しは辛いことから開放されたと言うことだろう。前のような鈍い光はどこかにいってしまったようだ。ただ、開放されすぎたのか、このように風呂上りに身体を拭かれるのを嫌がり、素っ裸で家中を走り回る。
「冬香、後は私が追いかけるから、先に風呂でも入ってきなさい」
 そう言って、私はこのやんちゃ坊主と追いかけっこをすることにした。ただし、慎重に行わなくてはならない。我が家には他の貴族から贈られてきた、無駄に高い壺などが置いてある。本当は売りたいのだが、家のものが五月蝿いので売れない。それに人からもらったものを必要なしに売るのは少し気が引けるしな。そんなこんなで、売らないにしても壊してしまうのはいけないだろう。気を配りながら、走る。
「じゃあ、お願いしますね。夏樹、程ほどにしないと千秋さんもお仕事で疲れてるんだから、遊んでくれなくなりますよ?」
 程ほどにって、私は遊び役に回っていたのか。
 どこかの部屋に隠れたのだろうか、夏樹は廊下にはもういなかった。さて、どこを探したものだろうか。
 こんなに幸せな日常が、今までにあっただろうかと思わせる冬香と夏樹との生活。あんな戦場から生まれたものなのに、私は幸せでいていいのだろうか。あの戦場には私が殺してしまった人はいるというのに。
 当時は衰弱していた夏樹も今はこの通り、本来あるべき子どもらしさを取り戻していった。ただ最近、冬香の様子が少しおかしいのは気のせいだろうか。妙に他人行儀な時がある。他人だから、といわれてしまえばお終いなのだが前はそうではなかった。
 どこかの部屋でクシャミをしたやんちゃ坊主の声が聞こえた。そろそろ見つけてやらないと、本当に風邪を引いてしまうな。
「夏樹、そろそろ出ておいで。お前の好きな魔法を見せてあげる」
 そういうと私の立っている所のすぐ近くにあったドアが勢いよく開き、素っ裸の夏樹がでてきた。
「もう乾いてしまってるじゃないか、取りあえず髪は拭いておこう」
 髪を拭いて身体も少し拭いてやると、夏樹は「魔法、魔法」と急かす。魔法と言うのは魔術のことで、私には少ししか魔力はないけれど、魔具を使って増幅させたり、魔具そのものが自然から魔力を吸って力を発揮できるものなどを使って、戦いに使ったりする。その中で、私が魔具を頼らず割と手軽に使えるのが、風を操り物を浮かせたりすることで、夏樹はそれで宙に浮くのが好きなのだ。そういったところは下女がいなくて忙しい時にシャツの皺をとったりするのに使わせる冬香とは違い、夏樹はどこまでも純粋だ。
「わかった、服を着てからな」
 そういうと、遠くのほうで可愛らしいクシャミをする声が聞こえた。
 目の前では、頑張って服に腕を通そうとしている夏樹が盛大に転がっている。ボタンをはずさないから、そうなるのだ。何とか通ったようで、今度はズボンに取り掛かっている。
「千秋さん、ご苦労様。また、魔法ですか?」
 いつの間にか、冬香が隣に立っていた。
「また、魔法だ」
 夏樹がズボンを穿き終えたのか、袖を引っ張って「魔法、魔法」と急かす。
 夏樹を中に浮かせるため三人で庭に向かい、秋の紅葉を眺める。
 できるならば、こんな生活をずっと続けていられたならばいいのに、「どうして、こんなことに」と言う言葉は飲み込まなければならない。きっと私が望んだことでもあるのだ。そして、終わらせることも望んでいる。
 花の恵みの雨となれるように。
 いつか戦争が終わって二人と笑いあえるようになるために、私は今を生きている。
 
 

 冬の寒空の下、都から遠く離れた農村が今の僕の住処。
 遠くの土地で戦が起こっていると聞くが僕には関係ない。僕は僕の道を進むために生きているのだから。

 東方から光が射す。凍える夜に光が射す。
 僕は今いる小屋から外へ出る。目の前に赤い鳥居。この村に、この小屋に住む事を許してくれた神主様に恩を返すために境内の掃除をする。
 鳥居の前に立ち一礼、祝詞を詠い石畳の参道の端を歩く。そして、持ってきた桶の中に布を浸す。水が冷たいが無視して絞る。そこから殿を磨いていく。今は冬、箒で掃く必要は無いであろう。これが僕の日課。
 そうしているうちに後ろからリンとした娘の声が僕の名を呼ぶ。
「九夜さん、お父様がお呼びです」
「……わかりました、春。今から行くと伝えておいてください」
「ちゃんと来て下さいね。私が怒られてしまいます」
 無言でうなずくと、彼女は少し長めの髪を揺らしながら去ってゆく。
 僕も道具を片付けて彼女の通った道を進む。

 このごろ神主様は自分の娘、春と僕を並べて己の絵画を自画自賛するようにニヤけている。
 今日も朝食を取っている間ずっとニヤけていた。常に笑っているような人だが、笑うとニヤけるは違うと思う。しかし、三人しか居ない朝食で彼はかなり浮いていた。

  神主様の畑の手伝いの合間に春の教師を務める。その内容は様々で文学、数学、理学、魔術学等がある。
 彼女は物事をよく咀嚼して飲み込むのが早かった。もしかしたら以前都で教えていた者よりも早いかもしれない。特に春は魔術学が得意分野であった。
 春の母はこの村唯一の魔術師だったそうだ。母から教えてもらった礎と自らの才能があってこそここまで来れた。それを踏まえて学問を教えていく。
「魔術での解毒の方法は現時点で三種あるが、中和以外の二つの長所と短所を答えてくれ」
「一つ目は抽出です。これは体に負担をあまりかけないのですが、少量残ってしまう可能性があります」
 目で次を促す。少しの間のあと彼女は言葉をつむぐ。
「え~っと、二つ目は破壊ですね。こちらはかなり体に負担をかけてしまいます。ですけど、ほぼ完全に毒素を無くすことができます。だから、中和、抽出が良いということです」
「両方とも正解だ。しかし、時間が無いなどの状況の時は破壊だ」
 春はにっこりと笑顔になったが、声は何の変哲も無くこう言った。
「九夜さん、魔術式を教えて下さい」
「……わかった。家に帰ってから筆を持って覚えるとするか」
 そこに村人と話をしていた神主様が戻ってきて畑仕事を再開した。

 大根を引き抜いて山積みにし、それを荷車に乗せて共同出荷場まで持っていく。単調な肉体労働、幾ら人手があっても足りない気がする。
 日が少し橙に染まる。神主様は春を帰らせて僕に声をかけた。
「九夜君」
「何でしょうか」
「もしこの村に何かあったら、春とこの村を護ってくれますか?」
 正直一瞬迷ってしまった。また僕は逃げ出してしまうのか……。
「……はい。僕の出来る限りこの村の人々と村を護るでしょう。魔術師として村人として」
「そうですか、ありがとう。その時は頼みます」
「……しかし何故このようなお話を?」
 彼は腰を伸ばして橙の方角を見据えた。橙に染まるその顔はいつもの笑顔などは既に無く、真剣な顔つきだ。
 つられて僕も作業を止め、同じ方角を見る。
「戦がそこまで迫って来ているそうです。もしもの時のために君に尋ねておきたかったのです」
 そしていつもの笑顔になり、こちらを向くと。
「その時は頼みます。もう村の若い衆はほとんどいませんし、君だけが頼りですから」
 そう言うと深く、深く神前と同等の深いお辞儀をした。
 僕は神主様にお辞儀をされるなんて思ってもいなかった。だから刹那たじろぐが、一瞬後には顔をあげて下さいという主旨を述べる。そうすると、神主様は「九夜君は九夜君です」と言い笑っていた。
 空が紫になる頃帰途につく。もちろん僕は神主様の後ろで。

 春の作った夕食をとり、彼女に魔術文字及び魔術式を教える。始めは神主様も聞いていたが内容が高度かつ、才能で左右される分野だったのですぐに諦めていた。彼女に宿題を出して家を出た。
 凍てつくほどではなかったが流石山間部、かなり寒い。先ほど春に教えた暖を取る魔術を久々に使う。
 ふと夜空に目を向ける。都にいたころよりも美しい星空、月夜……。月の色、星の輝き……。いや、気にしないでおこう。気にしていたらそうなってしまうから。
 進行方向の先の小屋の前、否、鳥居の前で人が倒れているではないか。
「……ちっ」
 ぼさぼさの髪をかきむしる。そして、星を見てしまった己を呪う。嫌な予感、嫌な予兆は当たるものだと誰かが言っていた。
 まずはそのものを観察する。
 性別は男、歳は三十半ば。どこかの軍人らしく赤い色をした軍服を着ている。武器は刀か。対魔術装備は服だけみたいだ。
 傷は腕が酷いが重症とはいくまい。魔術残留があるため魔術による負傷と推測。しかし、だいぶ前であると同時に出血で倒れたと思われる。だが、未だに呼吸はしている。
「ちっ……」
 二度目の舌打ち。
「貴方は死にたいのか?」
 返事は無い。
「死にたければ勝手に死ね。そしたら僕は貴方を片付けるだけだ」
「……」
「…………生きたいのか?」
 カクンと首が縦に動いた。これはたまたまではない、意思のある動きであった。
「ちっ……」

 空が白み始める。一睡も出来なかった。このまるで駄目そうなおじさんをなれない包帯で手当てして、苦手な治療系の魔術をかけてやった。しかし、とたんにこいつは……ッ! 大いびきをかきだした。おかげで僕は……一睡も出来なかった。
 そろそろ日課を始める時間。見せたくないもの――魔具は片付けた。そして、勝手に動いて欲しくないので、このおじさんの身動き取れないように魔術で縛る。さらに、人が来ないように人除けの魔術を二重に張り巡らす。
 いつもより早く行動を開始し、日課が終わったので春が来る前に神主様の下へ行く。
 着いたと同時に、春が僕を呼びに戸を開けたときに目が合ってしまった。
「あっ、九夜さんおはよ……ッ」
 左手は戸を開ける位置に浮かんでしまった。
 彼女は息をのむ。僕は身動きが取れなくなってしまった。
「どうされたのですか!? その左目!」
 僕の左目は今包帯の眼帯で覆われていた。
「ああ、これか? これは結膜炎になってしまったからだ」
「何ですか? 結膜炎って」
「目の病気の一種だ」
「そうですか……お大事になさってください」
 無言でうなずく。そして、少しの罪悪感。
 家の中に入るとやはり神主様も同じ事を聞いてきた。そして同じ答えを返すと納得してくれたが、酷い罪悪感。
 負傷兵の話もした。神主様は誰にも言わないと言ってくれた。
 そして、何気ない会話に変わる。
「そうそう、九夜君。一つ相談なのですが」
「はい」
「春たち、村の若い衆を明日都に連れていってくれませんか?」
「お父様よいのですか!?」
 僕が答えるよりも早く春が神主様のほうに向かい言う。否、叫ぶ。
「いいですよ。でも、九夜君が了承してくれるならば、ですが」
 無言の威圧が僕を襲う。やはり田舎のものにとっては都に行きたいものか……。僕もかつてそうだったように、あの貪欲が渦巻くとに。
「……わかりました。任せてください」
「「よかった」。では、九夜君お使いもしてきてくれませんか?」
「はい」
「私、村の人に言ってきます!」
 そういうと彼女はトタトタと外へ急ぎ足で出て行った。
「あっ、話は通してありますから」
「……」
 僕待ちだったというわけか。

 この日は事前指導で終わってしまった。はぐれない、知らない人には付いて行かない等等。何回か復唱させたから安心してよいだろう。
 日が暮れて自分の小屋に戻る。術を解きながら。眼帯を外しながら。
 戸に近付いても物音一つしない。起きているならば身動き取れないことに驚いて暴れようとするだろう。
 そっと戸を開けて中を窺う。未だ彼は眠っていた。よく眠る中年か。
 彼の横に音も無く座り今後を考える。彼を神主様に頼むか? いや、これ以上は迷惑をかけれられない。殺すか? 駄目だ、僕に命を奪う権利など無いしあいつ等と同じになってしまう。だったら、奥山に捨てるか? ……朝までに戻ってくれば良いのだから。
 準備をするために立ち上がろうとする瞬間、中年は身じろぎをし始める。
 案を胸中に納め、臨戦態勢を整える。相手に魔具を使わせないために自然中の魔力を源にいつでも魔術を発動できる状態にする。
 何かに気づいたのか包帯をしきりに触っている。しかし、いっこうにこちらに気づきはしない。いや、気づく事はありえないだろう。仕方無しに声をかける。
「――起きたか」
 何を言おうか考えた挙句出た言葉。
 小動物のようにビクビクとしながらこちらを向く。
「……丸一日寝ていたな」
 ただ事実を教えてやる。
 何かを考えてから僕を見る。中年の男に見られるのは心地よくは全くもってない。
「あ、あのっ、どうもありがとうごぜぇましたっ。おかげで命拾いしま――」
「出ていけ……」
 最後まで言わせはしない。そんなものは聞きたくはない。第一自分で死にたくは無いと言ったのだから。
 中年は驚き戸惑っているがそこに追い討ちをかける。
「貴方を助けたのはお社様の前に死体を転がしたくは無いからだ。それ故、貴方はここに留まる理由は無い。出て行ってくれ」
 何か小言を言っているが声は届かない、耳障り。それ故――
「出て行けと言っている」
 鋭く重く声を発し、引き金を軽く引く。すると左手に快い振動と空気をわる音、そして光。
 中年は悲鳴を上げ、文字通り飛び起きる。

 ぐぅぅぅぅ。

「ちっ――」
 なんとも間抜けな音。そして、相手に届かないほどの小さな舌打ち。
 傍らにあった物を掴み中年に突きつける。
 中年は今度こそ大きな悲鳴を上げて保身の構えをとる。そこから微動だせずに沈黙が続く。またも小動物のようにビクビクしながら手を下げる。
「これを食い、さっさと出て行け」
 中年はそれを手にすると礼を言おうと口を開くが。
「礼を言う暇があるならば外へ出て行け」
 そして中年は一目散に出て行った。
 僕は傍らの物を口に運ぶ。かなり上出来の干し肉。流石神主様だ。

 自分の布団を敷いて灯を消す。中年はまだこの近くにいるみたいだ。気配と魔具の自然魔力を吸うので良くわかる。気が散ったがかまわず寝た。あの中年のせいで一晩眠れなかったのだから。

 日が昇る前に起きて、日課をやり遂げる。中年は鳥居の影に隠れているつもりだがバレバレだった。しかし、無視をした。これ以上関わりたくは無い。
 支度を整え懐中時計に目を向けると、約束の刻までだいぶあったが出発する。
 中年が僕の後を追いかけてくるが邪魔をしたら叩けば良い事。それまで無視をしよう。
 約束の場所に数人ちらほらといた。僕は相変らずの足取りで、風を従えそこへ向かう。

 息が切れる。苦しい。身体じゅうから湯気が立ち昇り、後ろに流れていく。真冬だってのに身体が燃えるように熱かった。オラはいったいどれだけ走った? いや、そんなのは関係ねぇ。止まるわけにはいかねぇんだ。死にたくねぇから。
 左の二の腕からは、どくどくと血が流れている。さっき出会っちまった敵にやられたんだ。他にも傷はたくさん負ってる。ひょっとしたらそれが疲労に拍車をかけているのかもしれねぇ。汗のせいか失血のせいかは分からねぇけど、なんだか目がかすむ。お世辞にもいい状態とは言えねぇな。
 でも――止まっちゃいけねぇんだ。
 オラの仕える華栄様――前代の皇帝様の第二皇子様だ――の識別色である派手な赤色の軍服が、吸い取った大量の汗でずっしりと重く感じる。
 聞いた話によると、どうやら華栄様はつい最近まで植民地遠征に出られていたらしい。そいでもって華栄様が留守にしている間に皇帝である長男、華龍様が亡くなられ、そんときの遺言が「後継者は三男の華彩だ」ときたもんだから、話がこじれちまった。オラは頭がわりぃから難しいことはよく分かんねぇんだけど、やっぱ長男の次は次男が皇帝になるべきなんじゃねぇかなって思う。どうやら華栄様だけ異母兄弟のようだから、それで華彩様に白羽の矢が立ったんだと思うけど……うーん、やっぱよく分かんねぇ。
 不意に、オラのちょいと遠くの木が突然爆音を轟かせて――消えた。
「ひ、ひぃぃっ!」
 遅れてやってきた嵐のような強風に背中を押され、思わずつんのめりそうになる。だが倒れたらおしまいだ。死にたくねぇ。だからオラは走っている。生き延びるために走っているんだ。
 
 オラは山田太一郎。戦争なんてやっていなけりゃ、今ごろ田舎で畑仕事をしているはずだった百姓だ。
 正直もう帰りてぇと思う。こんなところにいたら、命がいくつあったって足りやしねぇ。
 しかしそれでも帰れねぇのは、これがお袋の言いつけだからだ。
「太一郎、お前ちょっくら都の戦争に行ってきな」
 お袋は言った。
「なんでも、戦争で手柄をあげりゃあすんごい金が手に入るんだと。昨日、都から戻ってきた隣の弥平がそう言っとったんだわ。お前だって、いつまでもこうやって畑仕事ばかりやっとってもなんの儲けにもならんことくらい知っとるじゃろ。将来楽をするためじゃ。ほれ、行ってこい」
 もちろん最初はオラだって反対した。だが、大金の魅力にとりつかれたお袋は、頑としてオラの主張を突っぱね続けた。そんでもって、オラは泣く泣くこうして都に出てきたというわけだ。
 再び遠くから爆音が響き、かろうじて立っていた枯れ木を追い風が吹き飛ばした。
 うひぃ、も、もう嫌だ! オラは戦争なんてまっぴらごめんだ!
 振り返って見上げると、そこには青い軍服の女が宙に浮いていた。遠くて顔は見えねぇが、身体の線からどうやら女であるらしいってことだけ分かる。青い軍服は三男、華彩様の軍だ。つまりは敵だってこと。血の気が失せて倒れそうになるのを必死に堪え、オラはまた走りだす。
 都に来るまで直接見たことがなかったから信じられなかったが、この世界には「魔術」というもんがあるらしい。さっきの女みたいに空を飛んだり、見えない力で頑丈な建物をぶっ飛ばしたりすることができるみたいだ。オラのような田舎出身の兵士たちは、そんな魔術を使うやつらを「悪魔」と呼んで恐れている。
 くそぅ、こんなところで死にたくねぇ! 早く田舎に帰って畑の世話がしてぇよ!
 
 
 どれくらい走っただろうか。そこにはもう何の残骸かも分からねぇ、破壊の限りを尽くされた建物と、焼けてただただ荒れ果てちまった荒野が広がっていた。敵の姿は見えねぇ。オラはようやく歩みを止めた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
 座っちまうともう立てねぇ。だから立ったまま、膝に手を置いて肩で息をする。顔を流れる汗が目に入ってしみるが、目をこすることすら億劫だ。しばらくこのまま……このまま……。
「いたぞ! 赤服だ!」
 わりと近いところから声がして、反射的にそちらを見やる。
 そこには青服が三人、こちらを指差して何事か怒鳴っていた。
 やばい! 見つかった!
 駄々をこねる身体を鞭打ち、無理やり走り始める。ここにいたら殺されちまう!
「あっちに行ったぞ! 回りこめ!」
「どこだっ」
「あの瓦礫の裏だ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
 逃げるオラの背中に、敵意の塊のような怒声が投げつけられる。心の臓はすでに限界を超えている。胸の内側から肋骨にめり込むような激しい痛みに顔をしかめながら、それでもオラは走った。振り返りはしねぇ。そんな余裕はこれっぽっちもねぇんだ。逃げろ、オラ。逃げ延びて、懐かしいあの故郷に帰るんだ。
 
 
 オラのもたれる高い壁の向こう側を、おそらく青服のものであろういくつかの足音が通り過ぎる。オラを探す声が上がり、バクバクいってる心の臓が握り潰されるかのように縮み上がった。
 いつまでもここにいるわけにはいかねぇ。青服たちがいなくなったら、早いとこ、ここから逃げださねぇと。けども――今はもう少しこのままでいてぇと思う。もう足が動かねぇ。声も出せねぇ。立っていられねぇ……。
 壁にもたれたまま、ずるずると腰が下がる。ダメだ。今座っちまったらもう立てねぇ。そう思っても身体はいうことを聞かず、まるで尻に鉛でも入っているかのように、ぺたりとその場に座り込んじまった。
 と、その時だった。
 足音がひとつ、した。
 反射的にそちらを見やると、そこには見たくもねぇ青服がひとり、こちらを睨んで立っていた。声にならねぇ悲鳴が頭のてっぺんから突き出る。青服は獲物を追いつめた獣のように、ゆっくりとこちらに近づいてくる。抜き身の刀身がギラリと不気味に光る。すでに何人か屠ったのであろうその刀には、返り血と思わしき赤黒いいびつな模様ができていた。
 恐怖に目を見開くものの、一度下ろした腰はもう上がらない。尻を地面につけたまま、必死に青服から遠ざかる。そんなオラが滑稽なのか、青服はオラを見下しながらニタリと残忍な笑みを浮かべる。
「く、来るなっ」
 なんとか声を上げ、抜いた刀をぶんぶん振り回す。もちろん青服には当たらない。オラの身体が動かなくなるのを待つように、ヤツは一定の距離を保っている。そしてそれは功を奏し――オラは疲れ果てて腕を下ろした。
 あぁ、死ぬ前にもう一度、お袋の作った飯が食いたかったなぁ。畑の世話もしたかったなぁ。まずしくても、オラにはそんな生活が幸せだった。ずっと続けばいいと思っていた。お袋だっていつかはおっ死んじまうんだろうけど、それまでに器量良しな嫁さんでも見つけて、お袋に早く楽をさせてやりたかった。オラが畑で働いて、嫁さんが飯を作って、出稼ぎに出てる親父が帰ってきたら、四人で仲良くちゃぶ台を囲むんだ。きっと幸せなんだろうなぁ。だから――
 
 だから、オラはまだ死にたくねぇんだ!
 
 青服を見やると、今まさに刀を振り上げようとするところだった。振り上げるってこたぁ、腹ががら空きになるわけで。オラはまだなんとか握っていた刀をにぎゅうっと力を込める。青服の刀が最上段に到達する。今しかねぇ!
 残った力のすべてを注ぎ込んで、オラは刀を真横に振るった。青服の詰めた間合いは、等しくオラの攻撃範囲でもある。油断していた青服は、見事にオラの刀を受けた。身体を折り、振り上げた刀を落とす。からん、と軽い音を立て、主をなくした刀は地面に転がった。一瞬遅れて真っ赤な液体が噴きだし、仰向けに倒れる青服。びくん、びくん、と数回痙攣して、それっきりそれは動かなくなった。
 そして静寂。遠くからはいまだ爆発音が聞こえてくるものの、この場にはオラの荒い息遣いのほかに、なんの音もなかった。
 顔にたんまりひっかかった血液は、寒気を感じるくらいひどく温かかった。
 怖かった。たくさんの命を奪ってきた青服。それを殺した自分。オラは今、何人の命を背負っているのだろうか。そう思い、ただただ恐怖した。
 オラを探していたほかの青服たちの声は聞こえない。どこか別の場所に行ってしまったんだろう。両手をついてなんとか起き上がり、震える身体に鞭打って、オラはそこから再び逃げ出した。
 
 
 空は橙色から青紫色に変わりつつあった。星はほとんど見えねぇ。曇ってるんだろうな。今のオラみてぇに。
 都にはいたくなかった。ただ、故郷を目指して歩いた。走る力なんてどこにもなかったんだ。小川を見つけ、顔と傷口を洗った。真冬の水は刃のように鋭く身体を打つ。凝固した血液は驚くほど簡単にぽろぽろと落ちた。たくさんの命を包んだそれは、川に流れて消えていった。オラはしばらくそれを見送って、それからまた歩き出した。
 追っ手は来なかった。都から出れば、それなりに安心できた。それはまるで、異世界のようだった。都という箱庭の中だけ違う世界の出来事のように、外界はとても静かだった。
 しばらく歩くと、ちいさな村落が見えてきた。オラの生まれ育った田舎と大差のない、ほんとうにちいさな村だ。夕闇に灯る家々の明かりは、オラの疲れ果てた心をじゅうぶんに慰めてくれた。
 村に足を踏み入れる。これだけちいさな村だと、さすがに宿はねぇだろう。もしあったとしても、血のこびりついたこの軍服を見たら、驚いて店から追い出されちまう。しょうがねぇ、どこか寺か神社でも見つけて一晩過ごすか。
 そしてそれは思ったよりも早く見つかった。
 村の外れにある、寂れた神社。向かってその左側にたたずむ社務所にも明かりはねぇ。留守にしているのか、それとももう誰にも使われてねぇのか。
 どのみちここで一晩明かす予定だったから、人の気配がねぇのはかえって好都合だ。朝になって誰かに見つかったら、そのときは謝ればいい。久しぶりにゆっくり眠れる――そう思うと、張り詰めていた心身から途端に力が抜けるのを感じた。
「あ、あれ……?」
 視界がぼやける。景色がぐるぐると渦を巻き、言い知れねぇ浮遊感が足の力を奪う。
 そして、オラは気を失った。
 
 
 目が覚めると、痛んだ木張りの天井があった。しばらくぼーっとしていると、次第に頭が働きだす。
 そうだ、オラは神社の前で気を失って……それで……あれ? オラは今、どこにいるんだ?
 起き上がろうとすると左の二の腕がずくんと痛んだ。思わず顔をしかめる。そうだ、ここは思いっきり斬られた場所だった。傷口を空いた手で押さえると、布の感触に気付いた。見やると、そこには……いや、そこだけじゃねぇ。ちいさい傷は放ってあるものの、大量の出血を伴うような大きな傷にはすべて包帯が巻かれていた。誰かが手当てしてくれたんだ。
「起きたか」
 不意に横手から男の声がかかる。びっくりして振り向くと、そこには人影があった。
「丸一日寝ていたな」
 男の言うとおり、外は暗い。倒れたのはきっと昨日の晩のことなんだろう。室内の明かりは弱く、男の顔を満足に拝むこともできやしねぇ。声から察するに、それほど歳はいってねぇはずだ。おそらくは二十歳前後ってところだろう。だというのに、その声は四十近いオラのそれよりずっと落ち着いていた。まじまじと男を眺めながら、まだ礼を言ってねぇことに気付く。
「あ、あのっ、どうもありがとうごぜぇましたっ。おかげで命拾いしま……」
「出ていけ」
 オラが言い終わるより早く、男は言った。
「……え?」
「貴方を助けたのは、お社様の前に死体を転がしたくなかったからだ。もう用はない」
「い、いや、あの……」
「出ていけ」
 うっすらと輪郭の見える、ざんばらの髪。そして恐ろしいほどに鋭い双眸。その瞳に怪しい光がギラリと灯った。
「は、はいっ」
 言われるがままに飛び起きる。そして気付く。傷の痛みがほとんどない。さすがに二の腕はまだ痛ぇが、ほかの傷は動く分にまったく支障がないくらい回復していた。驚いて両手を眺めるのとそれとは、ほぼ同時だった。
 
 ぐぅぅぅぅ。
 
 腹が鳴っちまったんだ。そういやしばらくまともに飯を食ってねぇな。照れ笑いを男に向けると、男は炎を背負ったような双眸を鈍く光らせ、おもむろに手を突き出した。
「う、うわぁぁっ!」
 殺されるんだと思った。反射的に身体を仰け反らせ、両手で顔を覆う。しかし、それからうんともすんとも言わねぇ。恐る恐る手を下げると、目の前に何かの物体が突きつけられていた。
「食え」
 男から受け取ったものは、干し肉だった。
「ど、どうも……」
「礼はいい。さぁ、出ていけ」
 再び殺意にも似た光が双眸に宿る。オラは慌ててその場から退散した。
 飛び出して振り返ると、そこは夕べの神社だった。あの怖い男はこの神社に住んでる人なんだろうか。
 それにしても不思議な男だった。オラを殺すかのような目で睨んでいるかと思えば、手当てしてくれたり、食いもんを恵んでくれたり。一人思いにふけっていると、また腹の虫が鳴った。さっそくもらった干し肉にかじりつく。お世辞にもうまいとは言えなかったが、なぜだか満たされたような気分になった。
 
 
 夢を見た。お袋に叱られている夢だ。故郷を離れた今、そんな夢でも懐かしく嬉しい。
 お袋は言う。
「いいかい、太一郎。大金を稼ぐまで帰ってくるんじゃないよ。もし言いつけを破ったら、あんたはもうウチの子じゃないからね」
 ……前言は撤回だ。たしかに懐かしくはある。だが、嬉しくねぇ。
 
 
 お日様が昇ると同時に目が覚めた。神社の鳥居にもたれて眠っていたから、ちょっと身体が痛ぇ。だが、傷はだいぶ癒えてる。これなら走ることだってできそうだ。
 右腕をぶんぶん振っていると、背後――社の扉が開く音が聞こえた。慌てて鳥居の影に隠れる。中から出てきたのは、やはり夕べの男だった。鳥居越しにオラの前を通って、そのまま過ぎていく。どこに行くのだろうかと興味が沸いたりもしたが、オラはもう田舎に帰るんだ。そう思い、男の反対方向へと歩こうとして――夢を思い出した。
「大金かぁ」
 ぽつりと零す。もちろんそんなのはオラには無理だ。できるはずがねぇ。でも、それってつまりは故郷に帰れねぇってことでもあって……。しばし逡巡する。
「……帰れねぇよなぁ、やっぱ」
 気がつくと、オラは男の後を追っていた。
 この先どうなるかは分からねぇ。でも、このままじゃいけねぇってことだけは知ってるんだ。不思議な雰囲気の男。とりあえずは自分の興味に従ってみるのもいいんじゃねぇかな。
 魔術と科学の研究が爆発的な成果をあげた日本帝国。
 元皇帝の死期がもう近いことがわかり、三人いる元皇帝の子供うち、国を継いだ長男の華龍は流行りの病で死んでしまった。皇帝であった華龍は、幼い三男の華彩に皇帝の座を与えるように言ったが、遠征から返ってきた次男の華栄はそれに反対し、戦争は起きた。
 皇帝の支持を受けていた華彩が有利かと思われたが、その華彩の幼さゆえに華族や権力者たちは実績を持つ華栄側へ傾いていった。
 政界は揺れ動き、元皇帝の手に負えなくなりつつある。
 戦禍は徐々にまして、帝都から離れた町までも被った。
 ただその戦争にも、そろそろ終末が迎えられることになる。終末に向けた一大戦闘が始まるさなかを人々はどう思い生きて、戦うのだろうか。

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