合作小説を楽しく作っていきましょう。
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<食欲咎人Ⅰの続きです。>
◇◇◇◇
屋敷の中はシンと静まり返っている。来た時感じた荘厳さとは別の、薄く粘りつくような気味の悪い雰囲気。人の気配がしないだけだが、逆にそれが何か見えないものが私たちの周りにたくさんいるような。だがそれだけで十分。この屋敷に何らかの脅威が在ることは瞬時に理解できた。
「……ムー、魔術起動の所要時間は?」
「体調によりますけど、おおよそ五秒ほど。詠唱を削れば三秒ですが、私の拘束はそれほど強くないのですぐ解かれちゃいます」
「いや、十分。初撃は私が行うから、その間に相手の動きを封じてくれ」
物騒な会話だが、誰も異論を唱えない。それは当たり前、この屋敷に入ったときから既に戦闘は始まっているとみていい。
玄関を開けたときの咽返るような血の匂いも、今では感じられない。匂いは確かにあるはずなのだが、もう鼻が麻痺でもしてしまったのだろう。廊下に続く血の痕はそれほどまでに濃く多い。数時間前訪れた時には笑いかけてくれた数十人のお手伝いさんや庭師、料理人の気配がまるでない。つまり、この血の跡は彼らのものなのだろう。誰か解らないがかなりの手練であることは間違いなく、この館の住人の生存は限りなくゼロに近しい。
「おかしいな」
だがどうしたことか、さっきから血の痕ばかりは目に付くが、肝心の死体がどこにも見当たらない。血の痕には引きずられた形跡もなく、ただそこで殺されたということのみを如実に物語っている。
「殺したのは魔術師か……?」
「いえ、それは無いです。人を一人消す為の規模の魔術ならその場に魔術発露の痕跡が残るはずです」
「どっちかていうと、超能力かな」
どこにいたのか、黒井が奥の部屋から出てきた。
「超能力……ふむ、そうですか」
「なぜ、こっちを向くんだムー」
「? 話を進めていいか、君たち?」
目で先を促す。ムーはなにやら銀色の物体を取り出しているが、この際無視することにした。
「超能力って云われるものがあるのは知っているか? 魔術を行使せず超自然的な力を発動させるものだが、それだったらこの状況の説明もつくだろうさ」
黒井は苦虫を噛み潰したような顔をしながらそう吐き棄てる。
「超能力……」
左目が疼く。単一の能力を扱う超能力者たち。なるほどそれなら説明はつく。
「観念動力か」
「だけど疑問は残る。なぜ死体を運ぶ必要があるのかというものだ。俺にはその必要性が解らない」
「さぁな、超能力者の心情なんて私には理解できないし、したくもない」
さっきから必死こいてスプーンを曲げようとしているムーを放置して、私は歩き出す。
「なんでも、いい。さっさと依頼主と少女、だ。見つからなければお互い無駄足になるぞ」
「ああ、そうだな」
「ちょっと、先に行かないでくださいよー」
後ろからムーが追いかけてくる。
「大丈夫だよ、ムー。何かあったらこの白馬の王子様が助けてくれるさ」
「……言い忘れていたけど、俺に期待しないでくれよ。たしかに白馬の王子様だが、体力的には”人間”なのでね。ムーさんは魔術が使えるんだろう、こっちが守って欲しいくらいだ」
「いいですよー。バッチリ任してください!」
ふんっ、と腕を構えるムー。それを黒井は本当に頼もしそうに見つめている。
そう、魔術師一人いるだけで、戦力は格段に上がる。それは一般人にもよく分かっており、それが畏怖の対象となる。だが、味方につけばこれほど頼もしいものなど他にはないだろう。
「フフ、でもヨルクちゃんくらいは守れるさ。魔術師じゃないんだろう?」
「なめるなよ、貴様よりは腕が立つさ」
「えー、そんなこと言うなよ。さあ、どう守って欲しいのさ?」
ああ、分かっている。見た目、私ほど実力がハッキリしているのはいまい。所詮は人間、男女差からいっても、私がこのパーティーの中で最弱ととられるのも無理はない。
事実、私は黒井ほど腕力があるわけでもない。今回のために持って来ている自慢の拳銃も性能は最低クラス、撃てるだけマシというものだ。一見しただけでは戦力は一目瞭然、私はただの足手まといの評価が関の山だろう。
だがある一点でのみ、私はコイツ等を圧倒的に凌駕している。その自負がある。
「まぁ、そのうち解る」
先を歩く。目指すは少女の部屋。屋敷の奥に進む。雰囲気に飲まれそうになりながらも、機械的に歩を進める。
感情を押し殺し、状況にいつでも対応できるよう自己催眠を施す。思考は常に二つ。擬似ペルソナを作り上げた私の脳は、情報処理能力を底上げし、アンテナである神経を針のように研ぎ澄ませていく。異能者相手に何年も組み上げてきた動作は一息に終わり、後はその獲物を待つのみとなった。
そして、たどり着いた少女の部屋は、
「ほぅ」
呟いたのは誰だったか、もしかしたら私かもしれない。そこに漂うのは吐き気のするほど濃厚な血の香。完全に一人や二人ではない量の血だまりだけが、月明かりの部屋に染み込んでいる。赤と黒の混同したその色は嫌に蠱惑的で頭の芯が熱くなる。
その中心にいるのは、――
「な、んだ、アレは……」
黒井の呟く声にに応えるよう咆哮する、――巨大な肉の塊だった。
部屋の中心にただぽつんとあるそれは、生きているのだろうか、グロテスクな表面を揺らしながら蠢くように何かを自らの身体に押し付けている。
「違う、か」
押し付けているのではなく、食べているのだ。その肉塊はその大きな手で、一心不乱に人間の足を食べている。
ペチャペチャという音が漏れる。たまに混ざる不快な音は骨が砕ける音だろう。まるでこの世とは思えない光景。現実から、夢の世界に放り込まれたかのような感覚。
「なるほど」
その世界の中で、私は一人納得する。それはその肉塊が握る見覚えのある身体と、少しながらも覚えのあるその肉塊の風姿。キッチリと填まったそのパズルのピースであった。
「黒井、感動の対面となったか」
驚きに目を見開いている黒井に尋ねる。あの少女は黒井の探し人であったのか。既に原型すらない彼女の姿で判るのかどうかは疑問だが、一応念のため。
「あ、ああ、……すまないが、間違いない」
驚きを隠せない黒井だったが、思いのほかすんなりと答えは出た。
「少女は、いや――――あの怪物は、白井香。俺の探していた飛鳥の妹だ」
数時間前まではベッドで横たわっていた少女は見る影もない、ただ記憶に符合するのは顎に引っかかるあの拘束具と、ところどころに残る包帯だけ。
「AAッAAAAッ!」
初めて聞く少女の声は既に少女と呼べるものではなく、ただの獣の咆哮に成り下がっていた。
「納得だ」
あの時ベッドに横たわっている少女の拘束具、それは本来手足につけるものを顎につけたものだった。口が開かぬよう厳重に。その時はギプス代わりかと思ったが、どうやらそんな甘いものではなく、獣としての食欲を抑えるためのものだったようだ。
相変わらず自身の執事を食べ続けるその姿に、黒井はただ驚いている。戦力的に肝心なムーの顔は黒井に隠れて判らないが、十分に驚いていることだろう。
執事を食べ終わるまでそうはかからない。行動はできるだけ早く行いたい。
「黒井、残念だが殺すぞ」
「……ああ、解っている。それはあの子も望んでいることだろうし、俺に止める権利はない」
いやに物分りのいい答えに私は少し戸惑った。探していた、最愛の人の妹だというのに随分とあっさりしすぎている。
「まぁ、いいか。ムー、魔術を」
「あっ、ええ、はい。拘束します」
正気を取り戻したか、ムーは魔力を練り上げていく。部屋中のマナが凝縮されていく変化に、肉塊は食事を止め、こちらにその視線を向けてきた。
その目はあの人形のような生気のない濁りで満たされている。どこまでも不気味に、深く。
「Aー……AAAAAAAA!」
私たちを新たな食物と認識したか、その図体に似合わない速度で突進してくる。
「フン」
腰にかけていたホルスターから二挺拳銃を抜く。その腕の動作と同時に放つ銃弾は三発。的確に相手の頭へと放った銃弾はどの程度のダメージを与えられるかの確認に過ぎない。
だが、少しならダメージもあるだろうと予測していた甘い考えは、一瞬で崩された。その三発の弾丸を額に命中させながらも、それをものともせず肉塊はこちらへ向かってくる。
「ほう、ただ大きくなったわけではないようだ、ムー!」
私の声に反応して、ムーは呪文を紡ぐ。
「Vereinigen Sie sich. Gebunden wird Faden aufgebunden ――!」
どこからともなく飛び出す黒い縄。そのしなやかで強靭な縄は私たちの前にまるで網を張るよう編まれていく。船室で私を縛った縄。それは今本来の使い方をもって威力を発揮する。
「GAAAAAAAAAAッ!」
それにもかかわらず闇雲に猛進してくる肉塊は、黒い縄に絡まりその動きを止めた。黒い縄はその身体を締め上げていく。
「やったか?」
黒井の声、その声に何故か肉塊は激しく反応した。
「暴れているな。大丈夫か、縄――」
「あぅうっ!」
途端に苦しみ始めるムー。その額には尋常じゃない量の汗が流れ、顔は真っ青に近い。魔術の反動にしては異様な有様。
「どうしたっ!? おい、なんか具合悪そうだぞ」
黒井の言葉にも反応できないのか、洩らすのは低いうめき声だけ。
「なんだ?」
見れば肉塊はその黒い縄を、
「AA―ッ、AAAAAAAッ」
――――食べている。口ではなく身体全体で、その縄を取り込んでいる。
「ムー! 拘束は解いていい! 黒井、すまないがムーを部屋の外へ!」
私の声と同時に、肉塊を拘束していた黒い縄が消える。どうやら限界だったようだ。ムーは目を閉じぐったりしている。
黒井が運び出す間、肉塊の意識をこちらに向かなければいけない。
黒井が運び出す間、肉塊の意識をこちらに向かなければいけない。
「チィイ!」
効かないと解っていても持っている武器は銃だけ、二挺の愛銃の撃鉄を起こす。拘束すればやりようもあったが、こうなれば白兵戦で打ち勝つしかない。
「AAAAAAAッ」
巻き上がる硝煙。弾丸は既に何発も叩き込んでいる。でもそれは肉塊にとって蚊が刺すようなダメージなのだろうか、まるで効いていないという様な突進の繰り返し。だが、知的レベルが下がっているのか、敵は組みし易いムーたちよりもこちらに向かってきてくれているのは幸いだった。
丸太が飛んでくるような腕の突き出しを避けつつ、視界の隅に黒井がムーを運び出しているのを確認する。そして、黒井とムーの姿が完全に部屋の外へと消えたのと同時に、部屋の空間を使えるだけ使って私はできるだけ肉塊との距離を離した。
「ふぅ」
息を落ち着ける。相手の動きは単調で躱しやすく、そう脅威を感じないが、それでも腕を振り回した時の轟音や突進したベッドの残骸などを見ると息が上がっていく。命を懸けた緊張が身体を固まらせていくのが解る。でもそれは、
「――ふぅ」
既に慣れすぎた感覚。
「仕方がない。終わらせる」
幾度の経験は既に決着をはじき出している。
ゆっくりと、ただゆっくりと。
――――閉じていた、左目を開けた。
瞬間、世界は崩壊し、再構築され、……それはただの"情報"へとなり下がる。同時に、頭が割れ脳みそを他人に捏ね繰り回されるような激痛と嘔吐感に意識が飛びそうになる。頭に奔らせていたペルソナの処理速度を圧倒的に上回る情報という圧力に、脳が軋みを上げ、この白い部屋に限定こそしているものの、世界そのものを"観る"行為はおよそ人間のたどり着く場所ではないと全身が拒否する。 だが、それを抑えつけ私は目の前の肉塊を凝視する。
「――――ハァッ」
一呼吸すら地獄のような苦しみ。この状態では数分すら自我を保っていられないだろう。
しかし、観えている。彼女の人生という砂の一部や、彼女の身体の構造という砂がまるで手の中にあるようだ。
……それにしても、この空間に限定しているとはいえ、なんとこの彼女の人生は少ないのだろう。それは人間という小ささを誇示しているようで――――
■■――BKPTE、……TYCH――――
ノイズ。認識できない情報が頭をよぎる。関係ない、今は目の前の敵を倒すことに集中する。
「関係ないんだ」
流れてくる彼女の一生という情報。
それは目を覆うような悲劇の連鎖。
だけど、その少女の一生がどんなに悲劇で悲哀に満ちていようとも。
「私にはお前を殺すことしかできない。――それがこの世界での最善の答えだ」
その私の答えに肉塊は拒否する。その腕を突き出し懇願するよう救いを求め続ける。川で溺れる子供のように、足掻く手足は獲物を食す事でのみ満たされる。
それを私は躱さず、受け止めた。
――Teufel Augen der Beobachtung――
――――それはどんな奇跡だろうか。
肉塊が肉薄し、その必死の豪腕でヨルクを撃ち仕留めた刹那、それは消えた。
死を告げる血飛沫。それは二人の間を満たしていく。一人はほくそ笑み、もう一人は――――
「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――ッッ!!」
己の腕が爆ぜた事に咆哮する。
ヨルクを撃ち抜いたはずの右腕が宙に舞ったのだ。
数秒間宙を舞った後、ドンッと重力にしたがって落ちる腕。肉塊はただその現実を受け止め、仕留め損なったと咆哮し続ける。痛みすら既にに感じはしないのだろう。吹き出る黒い血に何の興味も示さず、ただ一心に食物に這って行く姿は、まさに地獄の餓鬼そのものだ。
故に、その現状を目の当たりにして、さも当然そうに肉塊を見据えるヨルクは一体何者なのか。
腕を道具もなしに一瞬で引きちぎり、返り血でその黄金の髪を滴らせる姿は異様。もし、肉塊に思考が残っているとしたならば、その姿に畏怖すら覚えることだろう。ただ殺し合いに慣れているというレベルではない。その纏う雰囲気ですら、もはや人間のものではない。
「AAAAAAAA――!」
その雰囲気を打ち砕くため咆哮する肉塊。右腕を失ってもなお愚直に突進していく。いや、事実肉塊には突進するしかない。それだけしか、相手を殺す方法を知らない。
普通の人なら十分それで事済むだろう。並大抵の攻撃は受け付けない巨大な塊が迫ってくる。それだけで必殺の攻撃となりうる。だが、そこに佇むのは決して一般人ではない。その身を裂き、その命すら奪いかねない狩人。
「――――ッ」
だがどうしたことか、その狩人は肩で息をしている。苦しむその姿に肉塊は歓喜する。ああ、間違ってはいない、間違ってはイない!
自分のヤリ方は間違ってはいない! 自分は――
「AAAAAAAAAA――――ッ!」
間違ってはイない!
飛びつき渾身でヨルクに振り下ろした拳は、確実に相手の原型をとどめることなく粉砕する。肩で息する狩人は既に獲物、立場は反転し、その獲物を食する喜びで肉塊は最後の瞬間をその目に焼き付ける。
「――――ッ!?」
だがどうしたことか、肉塊の身体が傾いていく。周りに飛ぶのは黒い血飛沫。
最後に見たものが何なのかすら肉塊には理解できない。つけて、何故己の目も見えなくなっているのか。
「AAッ、AAAAAAAAAA―――!」
痛みはない、痛みはないはずなのに、肉塊は痛みを感じていた。
「AAAッ」
理解できない、本能で行動するはずのそれは躊躇する。目の前に佇むそれは獲物ではないと、失われた理性が告げる。
「ああああああああああああああっ!」
既にそれは咆哮ではなく、ただの悲鳴だった。肉塊の身体は急速に萎んでいく。狩人に背を向け逃げていくというその愚考に、ヨルクは何を思うのか、ただ――――
「ああ……ああああああっ……!」
肉塊はいつの間にか少女の姿を取り戻していた。住み慣れたはずの月射し込む部屋を襤褸切れの様な身体を引きずり、見えない目で何かを求めるように彷徨う。もう生きているのが不思議なほどその身体は傷んでいるというのに、少女は何かを探し続けていた。
そこに扉から黒井が現れる。一生懸命に戦った少女を愛しむ様な優しい顔。黒井の影は揺らめき、少女を誘う。
「やめておけ、その選択はお前を苦しめるぞ」
その姿を一瞥して、ヨルクは吐き捨てるように呟く。射し込む月に鈍く輝く濁った赤眼。その子を助けるにはここで殺すしかないとその目で語っていた。
「何言っているんだ、ヨルクちゃん。これは俺が背負うべきものなんだ」
ヨルクは不機嫌そうに顔を背けた。眼を開いているヨルクには黒井の目的もその存在も"観える"。
だから一番皆が幸せになれる未来を観た。その実現のためここまでしたのに黒井はあっさりとその未来を変えてしまったのだ。死者が安らぎを得、生者がその身に咎を背負う形の未来。決して救われない現実の螺旋。少女が「近づけるな」と依頼した理由が今なら解る。
だが、それを理解しながらもあえて少女を受け入れた黒井。それを自分本位の幸せという基準で、どうして妨げることができるだろうか。
「まかせるよ、私はムーのところに行く」
「廊下に出て左の部屋だ」
出て行く足取りは重たい。黒井と泣きながら抱きしめる少女を見つめる眼はただ残念そうに憧憬と諦めを込めて。
――――静かに左目を閉じた。
――Teufel Augen der Beobachtung――out
廊下はどこまでも青く、照らす月明かりは果てしなく眩しく感じる。光の調節ができていないのか、さっきから廊下は真昼のようだ。
慣れることはない頭痛と吐き気に倒れそうな身体を何とか支える。力を入れる両足も既に感覚はない。螺旋に視界が歪み、宙に浮かんでいるような感覚。
「……っ、まったく世話が焼ける」
それは自身に言った言葉か、それともムーに対してか。定まらない思考に一人自嘲する。
そのままふらつきながらも、なんとかムーのいる部屋に辿りついた。開けたままのドアに何の気なしにノックする。
「はい」
返事をする声は未だ元気はないが、それほど重症でもないようだ。
「大丈夫か」
「大丈夫ですよ、ただちょっと驚いてしまって」
ベッドの上で月に中るムーは、後光に照らされているようで気に食わないほど神々しい。白い髪も月に濡れ、これまた――
「――なんだ、お前、綺麗だったんだな」
ただ、私はそれを認めたくなかったようだ。どうしてか、それはムーを貶めるようで。
「? 気づきませんでしたか? 私これでも絶世の美女と呼ばれていたのですよ?」
軽口が叩けるほどには回復しているのか、それほど心配する必要もなかったらしい。私は相槌を打ちながらも、足の力が抜けてしまった。
「って、ヨルクさん! 大丈夫ですか!?」
ベッドから飛び起きてくるムー。どうやら私より元気そうだ。
少しやらなければならないことがあるが、ああ、だけども、
「少し、休む。何かあったら起して……」
意識がなくなっていく。安心したことによって緊張の糸が切れてしまったんだろうか。身体がすごく重い。意思が緩慢になっていく。
「解りました、おやすみなさい」
抱き起こしてくれている目の前のムーは笑顔で、私は本当に安心してそのまま寝てしまった。
◇◇◇◇
これは後の話。
屋敷にいた人は依頼主である執事を含めて全て食べられてしまったらしい。故に報酬を受け取るはずだった私たちは致し方なくこの家に無断で寄生することになった。掃除は大変だし、色々と不都合な具合だが、どうもいい物件には変わりなく、金もあることだし困ることはないだろう。
屋敷の少女はあれ以来見ていない。行方は気になるが大体予想がつく。黒井が笑顔なのがその証拠だ。今は彼女も幸せにしているのだろう。
これからは私の任務と目的に絞ることができるようになって、ようやく一段落ついたようなもの。日本初めての長い二日間は終わって、私たちは今少しのんびりしていた。
というのも、どうやら私が心身ともに限界だったことと、黒井もここに住むとかでその話し合いを、私にあてがわれたベッドでしていたからだ。
「どうしても住みたいのか」
「うん、だって」
彼女が育った家だから。そう語る黒井の目を私は直視できない。咎は既にその身に、最愛は憎しみとともに共存している。
「じゃ、後のことは頼む」
「それでは、頑張りますよ黒井さんっ!」
掃除道具一式とムーとともに部屋の外へ出て行く黒井。そのなんてことない後姿に、つい私は呼び止めてしまった。
「なんだい?」
清清しい笑顔。なるほど、こちらも心配する必要もないらしい。
「……いや、掃除は丁寧にやってくれ。塵一つでも残っていたらオシオキだ」
「それはそれで受けてみたい気も」
「初級編は電気椅子と五寸釘のフルコースだ」
「そりゃ、遠慮しておくよ」
二人して笑う。どうも、こいつもいいヤツだ。
ムーと黒井が出て行った後、私は重い身体を起こして晴れた庭に出た。
晴れ渡る空はどこまでも清清しく、深呼吸するととても気持ちが良い。
広大な庭の端には昨日のうちに黒井が服や遺留品を埋めて作った墓石がある。
そこに私はあるものを持っていった。
「役に立ったよ。お前のは決して無駄じゃなかった」
墓に添えるのはごく一般的なカチューシャ。ここのお手伝いたちが着けていたものだろう。あの時、部屋を観た時に一番思念が強く、より高度な情報を与えてくれた今回切り札となったもの。その持ち主に私は手を合わせた。
「さて、と」
屈んでいた腰を上げる。その頃には既に死者に対する感謝はなく、ただポツポツと屋敷に戻ることにした。
――――――見上げた空は蒼く続いている。私がそのことに気づくのはまだまだ先のことだった。
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